書籍『天才の思考 高畑勲と宮崎駿』

 

ジブリ映画のプロデューサー鈴木敏夫氏による高畑・宮崎2監督を中心としたジブリ映画制作の歴史を辿る本。

 

スタジオジブリの一番の課題は宮崎駿の後継者が育たないということだった。2014年の「思い出のマーニー」公開後、ジブリの制作部門は閉鎖され、スタッフは解散となる。鈴木氏によれば、「アニメーションでファンタジーの世界を描」くという手法が興行的に難しくなったというのが理由だという。しかし、2017年の宮崎氏の引退撤回から制作部門を再開するという流れからも分かるように、根本的には宮崎氏以外にクリエイターとしてジブリを引率する人材がいないことに尽きる。ちなみに「思い出のマーニー」は米林宏昌氏による監督だが、鈴木氏に言わせると「会社を”整理整頓”するための準備期間」映画だという。

 

スタジオジブリが宮崎氏の映画を作るための会社と言ってしまえば、それまでというのも一理ある。宮崎氏を超えるような人を育てろ、と言ってそういう監督が生まれる訳ではない。宮崎監督・鈴木プロデューサーを中心とする映画制作陣が集まったのは奇跡であり、そのチームを再生産しようとしても出来るわけが無いということだったのかもしれない。ただ、世界的にも大成功しているアニメ映画製作所が、次世代の監督による映画製作をすることが出来ず、映画製作自体を一旦休止せざるを得ないという状況は少しさみしいものがある。

 

本書を読んで少し意外だったことが、若い頃の宮崎監督の健気さだ。マイペースな高畑監督をサポートする立場として15年間『パンダコパンダ』『アルプスの少女ハイジ』等のアニメを制作してきた。宮崎監督が、ナウシカを制作するにあたり高畑氏にプロデューサーの役割を依頼するが、高畑氏は頑なに断る。そんな彼に対して、宮崎氏が「突然泣き出して」言った言葉が「僕は十五年間、高畑勲に青春を捧げた。何も返してもらっていない」だという。かなり献身的に働いていたことが伺える発言である。

 

宮崎氏自身はといえば、マイクロマネジメント派だ。彼が監督をしているときも基本的に全ての作画を管理しており、頻繁に口も手も出す。宮崎氏の物語の作り方も、ミクロの詳細な世界観をつなぎ合わせていき大きなストーリーにつなげていくスタイルらしいく、しかも頻繁にその物語の方向性が変わっていく。これにも周りのスタッフが振り回されており、映画を制作するたびにスタッフの誰かが辞めていく状況であったらしい。

 

宮崎吾朗氏や米林宏昌氏も監督に抜擢したが、ジブリの映画監督に定着するまでには至らなかった。人を育てるというのは本当に難しい。やはり天才は自ら現れるまで待つしか無いのか。