映画『ジョーカー』

2020年のアカデミー賞11部門でノミネート(受賞は主演男優賞と作曲賞)。私の周りで観た人からの感想も良かっただけに期待していたのだが、私は好きになれなかった。

 

不幸な人生が主人公アーサーを狂気に満ちた人間に変化させていく話なのだが、その設定が見ていて辛くなる。自分の意思に反して笑ってしまう障害が不要なトラブルを起こし、親の介護と貧しい生活が続く

 

彼が狂気に走る1つの転機が、電車内で理由なき暴行を受け、身を守るために相手の3人組を撃つ事件なのだが。あまりにも「普通」の暴行事件で、なぜそれがジョーカーの狂気性が生まれる理由になるのか。これでジョーカーなら、世の中ジョーカーだらけになる。

 

もう1つ、アーサーが何に飢えていたのかも今ひとつ明らかでない。映画後半で、父のいないアーサーが、母親の証言に基づきトーマスという富豪が本当の父親なのではと調べるのだが、結局間違いと判明する。精神が錯乱している母親を恨むことは出来ないし、父親でないトーマスに責任は無い。自分の思い込みに裏切られただけだ。

 

そして、取って付けたような大衆がジョーカーを支持しているという設定。大衆の怒りの矛先とされている貧富の格差に対する不満が、アーサーの心理を全く映し出していない。別にアーサーは金持ちに対して不満を持っていた訳ではない。単に自分に嫌なことをした奴を個人的に恨んでいるくらいのメンタリティでいたはずだ。アーサーの狂気と大衆の狂気が全くリンクしないままエンディングを迎える。

 

アーサーの辛い状況は理解するが、ジョーカーとしての狂気を語るにはあまりにも設定・ストーリーが貧相だ。